私は、学歴もなく、特別きれいでもないのですが、人当たりが良いというのでしょうか、男性には好かれるタイプのようです。何をしたいということもなく、友達の影響から夜の仕事に入りました。最初は、地元の熊本の仕事でした。熊本市街にある繁華街で働きました。その時のお客さんが銀座に誘ってくれて、その言葉に引き寄せられたかのように銀座の派遣で、ホステスとして働きました。さすがに東京です。田舎者の私には場違いな雰囲気で、最後まで馴染めませんでした。ただ、良いお客様に恵まれ、可愛がってもらえたことは、良い思い出です。その後、銀座のお店のママの紹介で、京都に転職しました。やはり水商売ではありますが、京都は水が合ったようで、気持ちよく毎日を過ごしています。いつかは、自分のお店を持ちたいと思っています。
Archive for 6月, 2011
大阪の大学を出て、やりたいことが見つからず、旅をして、働きながら自分探しをしていました。最初の地、岐阜の仕事は民宿の手伝いのバイトです。岐阜は大阪から近いのに、山間の静かな町や村もあり、のどかで、心が洗われる思いがしました。その後、東京を経由して東北に向かいました。途中、宮城県の派遣を見つけ、やはり民宿の手伝いをしました。といっても、ここは、若者が集る簡易宿泊施設で、同じような年代、同じように自分探しをしている旅人と出会い、とても刺激を受けました。その後、岩手の仕事に就いて、今現在に至ります。ここでは、都会に出てしまう高齢者の多い農村や漁村の人のために働いています。ボランティアに近い何でも屋、便利やのような仕事ですが、今が一番安らかで、穏やかな気分です。しばらく、ここで続けてみます。
福祉大学を卒業し、介護福祉士の仕事に就きました。今の社会、高齢化であり、福祉分野の仕事は就職に有利であると考えました。もちろん、福祉に関心があったからでもあります。趣味はスキューバダイビングです。若いのだから、20代は好きなことを仕事にしたいと考えたのですが、卒業するときには決心がつきませんでした。介護福祉士として働くうち、今やれることをしたいと思って、海の派遣の仕事で、スキューバダイビングのインストラクターが沖縄の仕事の求人で見つけました。今がチャンス、そう思って、チャレンジしてみようと思います。介護福祉士の仕事は30を過ぎても出来ると思いますが、スキューバの仕事は若い今だからできることのような気がしています。
大学在学中から暮らしていた横浜は、私には第二の故郷、大好きな街です。異国情緒豊かで、独特の雰囲気に惹かれていました。大学で英語を専攻したので、英語を活かしたくて、横浜市中区の派遣で日本語学校で外国人の生徒さんに日本語を教えていました。その後、横浜市西区の仕事では、小学校の英会話の助手として働きました。子供たち相手に、英語の楽しさを伝えることが私の役割です。子供たちにも英語に馴染み、英語を学ぶ楽しさを知ってもらえたら良いなと思いました。その仕事も3月で終了しました。子供たちの別れの言葉に感激しました。私も20代の後半になり、30までには自分の道を見つけるつもりです。この春、横浜から岡山に戻ったのは、親の近くで仕事をしようと思ったからです。岡山県の派遣で、また学校・教育関係の仕事の経験を積み、正規社員として働く機会を待ちます。